四話:名前
四話:名前
どんな生き物でも嫌いなものはある。それこそ食べ物、他人、季節などなど他にも沢山あることだろうと思う。
かく言う俺も嫌いなものが幾つかあるが、何よりも嫌いなものが───
───神。
あらゆる生き物の頂点に立つ力ある先導者。
その力は自分たちに従うものに対しては恵みを、従わない愚か者たちに対しては災いを与える。絶対にして無二の力。
……いや、神だって沢山いるんだろうから無二って言うのはおかしいかもしれないけど。
兎に角すごい力を持った奴ら、と言うことだ。
しかしながら、神以外の種族はそこまで嫌いじゃない。
人間も、のうのうと過ごしている神よりはずっと好きだし、妖怪だって自分の本能に忠実で見ていて面白い。
こんな話をして置いてなんが、今は神のことはまったく関係ない。寧ろ関係あるのは妖怪だ。
今現在、俺の目の前には妖怪に食われそうな一人の少女が。
寝ようかと思っていい場所は無いかと探していたら、偶々妖怪から逃げている少女を見つけた。問題は少女が妖怪に襲われている事じゃない。
実はあの妖怪、少女を追いかけていた時は人間の男の姿だったのだが、少女を追い詰めると身体の大きい蟲のような姿になったのだ。
おそらく食べやすいように元の姿に戻ったのだと思われる。
つまりあれだ、もしかしたら妖怪はいつでも人の姿をとれる、と言う事だ。そして一応妖怪である俺も人の姿をとれるかもしれないのでは? と思っている
別に人の姿を取れなくても特別困ることはないが、なれれば多少は楽である。
例えば前から人間がこちらに向かって歩いて来たとしよう。今までこの姿だった時は、殺されかけたり逃げられたりしていた。
しかし、人の姿になれば殺される心配も逃げられる心配もそこまでない。
まぁ同時に、妖怪に非常に襲われやすくなるかもしれないがそこはまぁ……うん、気合で何とかしよう。
でも、妖怪なんだから人の姿を取ってる時に妖力も一緒に出せるんじゃないかね? 人の姿をとれる……面倒くさいからこれからは人化と言おう。たぶん他の妖怪もそういってるだろうし。人化できることが前提になっているが、もしできなかった時は諦めていつもどおり蛇の姿で頑張ればいいさ。
『……まぁ、考えるより行動しよう』
そう呟いてその場を後にする。
後ろから悲鳴と何かが砕ける音がしているが、それを無視して安全な場所を探しに行った。
妖怪が少女を貪る場から逃げ出した俺は、比較的安全そうな湖を見つけた。
湖にはあまりいい思い出はないが、まぁ見たところ他の妖怪もいないし安全そうな場所なので別にいいだろう。
『さてと……何をしようか?』
ここまで来て置いてなんだが、何をどうすれば人化できるかまったくわからない。
とりあえずは妖怪の持つ妖力をどうやって使うか、そしてどうやって感じるかが重要だと思う。
自分には妖力があると言う事はわかるが、使い方も、どんな形をしているのかも、色さえもわからない。
『……探ってみるかね』
そう呟き、湖の近くで
全身系を自分の身体に集中させて妖力がないか確かめ……ているつもりだ。実際はどうしたらいいかよくわからないから何も考えずに目を瞑っているだけ。
静かになると周りの音がよく聞こえる。
風に撫でられる草木の音、鳥の鳴き声、そして誰かの笑い声……ん?
はて、先程この湖に来たときは誰もいなかったはずでは? と思いながら目を開ける。
『ぶっ!?』
目を開けて前を見たと同時に、思わず口から生温かいものを勢いよく噴き出してしまった。
だがしかし、これは仕方ないと思う。
何故なら、目を開けたら自分の目の前に両肘を地面につけて寝転がっている少女の顔があったのだから。どっかで見たことあるような……
「…………」
少女は何も言わずに顔に影をつくったまま立ち上がると、懐から真っ白な布を取り出し顔を拭く。ある程度拭き終わった少女は再び布を懐に仕舞い服を2,3度叩いてから俺を満面の笑みで見下ろす。
……何か寒い……
「せっかく会いに来てあげたのに、いきなりのご挨拶ではなくて?」
笑顔のまま、やけに丁寧な口調で俺を見下ろしてそう言っているが、何故だろう。
とても笑っているようには見えない。うん……これは……
『逃げよう』
その場から大きく後ろに飛び跳ねて即座に逃げる。
後ろを振り向いていられない。振り向けばそこには『死』が待っている気がしてならない。しかし、無我夢中で走っていると顔面が何かにぶつかり後ろに跳ね返る。
「どこに行くと言うの……?」
何にぶつかったのかと思い前を見ると、そこには身体中から黒い何かを漂わせている少女が。
すごく……怖いです……
とある湖。
一人の金髪の少女と、そして一匹の黒い蛇が向かい合うようにしている。
金髪の少女は地べたにも拘らず正座で蛇を見下ろしており、蛇の方は塒を巻いて申し訳なさそうに鎌首をもたげている。
「まったく……いくら驚いたからと言って、女性の顔に唾を吐きかけるなんて」
ブツブツと文句を言う少女、八雲紫は、蛇の頭をペシペシと叩きながら溜息を吐く。対する蛇は、自分が悪いと言うのを理解しているのか紫のされるがままの状態だった。
「……いいわ、今回は許してあげる。私も悪かったでしょうしね」
笑顔でそう言いながら蛇の頭から手を退かす紫。
一体何様のつもりなのだろう。
しかしながら、蛇はそれを気にも留めていないようで嬉しそうにピョンピョンと跳ねている。
「ふふふ……ほら、そんなに跳ねていると危ないわよ。それに、今回は貴方に用事もあるのよ」
紫の言った言葉を聞いた蛇は、動くのをやめて紫を見ながら少しだけ首を傾げる。
「貴方、前に私を助けてくれたときのこと覚えてるかしら?」
蛇はぽかーんとした顔でしばらく考えていたが、突然思い出したように激しく頷いた。
実はこの蛇、少女の事も、自分が少女を助けた事も忘れていたのである。
「それで貴方、自分が妖怪だって気づいていなかったでしょ?
今まで妖怪だって気づかなかったくらいだから、もしかしたら妖力の扱い方もよくわかっていないと思ってね。
だからお礼の意味も込めて私が手取り足取り妖力の扱い方を教えようかと思ってのよ。どうかしら?」
怪しく微笑む紫はそう言いながら蛇を見る。
蛇はしばらく考え込んでいたように顔を俯かせジッとしていたが、やがて顔を上げて小さく頷く。紫はそれを見ると怪しい笑みを浮かべたまま立ち上がり、どこからともなく扇子を取り出した。
この時代に扇子はないが、妖怪だから持ってると言う事で納得しよう。
「それじゃあ始めるわ。まず、貴方は自分の妖力を存在を貴方自身が感じ取れているかしら?」
否定。蛇は顔を横に振ることでそれを表す。
「なら、まずは貴方自身が自分の妖力を感じ取れるようにしなくてはいけないわね」
そう言うと、彼女は扇子を、平面が上に向くように目の前で広げる。
すると、広げた扇子の上に何か蒼みのかかった
「これが私たち妖怪が持っている妖力よ。触ってみなさい」
紫の言葉を聞いた蛇は尾の先っちょを伸ばして恐る恐る靄に触れてみる。
何かに目覚めたのだろう蛇は、尾の先で靄に触れるだけではなく、あろう事か突っ込んで掻き回した。掻き回された靄は一旦バラバラに
「ふふふ……覚えた? これが妖力よ。これと同じ感じを自分から探し出すの」
そう言うと共に、扇子の上に溜まっていた妖力の靄を消す紫。そして残念そうにする蛇。
「ほら、そんな残念そうにしない。やり方を説明するからちゃんと聞いていなさい。
普通、妖怪が妖力を扱えないなんて事は殆どないのよ。何故なら妖力とは妖怪本来が持つ力なんだから。
生まれたときから使える、言うなれば、本能で自分が妖力を持っている事を何となく理解しているの。
そして長い年月を得て妖怪になった家具なども、自分が妖力を持っている事を同じように理解している」
ふむふむと相槌を打ちながら蛇は話を聞く。
「けれども貴方は自分が妖力を持っている事を理解していない。
それはつまり、貴方自身が自分が妖怪である事を気づいていなかったと同時に、妖力を探る方法を知らないということ」
間違っていない、とでも言うようにシャーと鳴く蛇。
実際、彼は自身が妖怪である事を知らずに50年間生き続けてきた。本来同属である妖怪にも追いかけられてしまうほどだったから。
では何故追いかけられていたのか? それは不幸な事に、今まで彼が出会ってきた妖怪は皆頭が悪かったから。そして多少頭のいいフレンドリーな妖怪に出会っても、彼が襲われると勘違いをして逃げ回っていたからである。
少しでも友好関係を築ける妖怪がいれば、妖力の扱い方も探り方も教えてもらえただろうに。
「さっきも言ったけど、妖力がどういったものか知らない貴方は、まずは自分で妖力を感じ取れるようにならなくてはいけないの。
今からその方法を教えるわけだけれども、はっきり言って、今まで自分が妖怪である事を気づけなかった貴方が自身の妖力の存在を感じ取れるかはわからないわ」
ガーンと蛇からおかしな擬音が聞こえる。
しかしながら紫の言う事は正論だ。今まで自身が妖怪だと気づかなかった蛇が、はたして自身の持つ力にそう易々と気づけるだろうか? それは才能ある者が周りから言われない限り気づかないのと同じである。
「そんなに落ち込まないの。大丈夫よ、そのために私も協力するわ」
紫は蛇の頭を撫でながら優しく声を掛ける。
「やり方としてはこうよ。私が、貴方に私が持つ妖力を送るわ。貴方は私が送った妖力を頼りに、自身の持つ妖力を見つけるの。
元々妖怪の持つ妖力と言うのはどれも似たようなものだから、私の送った妖力と似たような妖力を自分から探し出して頂戴。
色、形、音、それからにおい。それらの今まで感じたことの無いものを自分の身体の内から感じれば、貴方は自身の妖力の存在に気づいたと言う事よ」
どこか得意げに話す紫。
要はつまり、私が貴方に妖力を送るから後は自分で探して見つけてね、と言う事だ。
蛇は少し不満げに小さな舌を出してちらつかせていたが、紫が回答無用に抱きかかえて蛇の頭に手を乗せて妖力を送り始めた。一瞬送り込まれた妖力に戸惑う蛇だったが、やがて落ち着いて目を瞑る。
それは蛇自身が、現在紫から送り込まれている妖力をより感じ取れるようにするため。
「…………」
無言。
妖力を送り込んでいる紫も、送られている蛇も、何も言わずにただ目を瞑って集中している。
それがどれほど続いただろう。時間にしたら短いのか、長いのか、本人たちには理解できていないだろう。突然―――
「きゃっ……!?」
紫が短く悲鳴を上げる。
何故なら、蛇が自分の腕を跳ね除けるように文字通り大きく上に跳んだのだ。それは
やがて蛇はぼとりと地面に落ちてのた打ち回る。高いところから受身もなしに落ちたのだから当然の反応だろう。
しばらくのた打ち回っていた蛇は首を上げ塒を巻く。
「あら……」
紫が蛇を見ながら嬉しそうにそう言う。
ただの
『わーい』
意味もなく喜んでみる。
何やかんやあって自分で妖力を見つけることが出来たのだ。
最初少女が協力してくれると言っていた時、正直何を言っているんだこいつはと思っていた。一回助けただけの蛇に対し、普通ここまで恩を返しに来るだろうか?
まぁ俺もよっぽどの恩があったりする場合なら、その時の気分にもよって恩を返すと思う。
ちなみに名前は忘れた。 確か百合だが何だかだった気がするけど……
「おめでとう」
喜んでいると少女が話しかけてきた。
「妖力を感じ取れるようになったみたいだから、今度はその扱い方を教えるわ」
休む暇なく少女が俺にそう言う。
「妖力と言うのは色々な使い方があるわ。
それこそ、火を出したり結界を張ったり人化したりとかね」
結界ってなに? と思ったが、あえて触れない事にしよう。ややこしくなりそうだし。
「まぁ説明を省くと、何をするにもとりあえずは念じながら妖力を送っておけば大体は成功するわ」
『なるほど』
とりあえず、俺がやりたいことはもう決まっている。
何とか操れるようになった妖力を出しながら頭の中でただひたすら念じる。
『……ぬん!』
何となーく出した掛け声と共に、全身が何か別のものに組み替えられるような感触がする。
いや、少し違う。正確には、自分の身体に足りなかった何か別のものが入ってきて、それがどんどん組み合っていく感じだ。
そして、ぼんと言う音が辺りに響き、俺の周辺が白い煙に包まれた。
白い煙が蛇のいた場所から発生し、もわもわと立ち込める。
その煙の近くに立っている少女は、口元を押さえながら蛇がどうなっているか気になっているようで、頻りに煙を手で払おうとする。
やがて少女の手がコツン……ではなくどちらかと言うとグニッと言う感触のする物に当り、それと同時に煙が晴れて蛇の姿が見えた。
「……え?」
紫から驚愕の声が漏れる。
それもそうだろう、煙から現れたのは明らかに蛇ではなく、人の姿をした何かなのだから。いや、ほぼ人そのものと言ってもいい。
肩まで届くか届かないかくらいの長さの黒い髪に白い肌。顔は、まぁそこそこいいと言う感じで、瞳の色は赤。
そして身に着けている衣服は黒い、少しゆったりとしていそうな和服。
背は約
何よりも目に付くのは、この男……いや、どちらかと言うと青年だが、青年の尾骨から出ている―――
「蛇……?」
そう、蛇だ。
青年の尾骨からは、あの小さな黒い蛇を大きめにした長い蛇が、舌を出しながら辺りを見渡しているのだ。
「ん~……懐かしいね、この感じ」
青年はそう言いつつ首をばきばきと鳴らしてから、自分の顔の横にある尻尾のような蛇を不思議そうな目で見ながら撫でる。
「あ、え? 貴方……」
それに対し戸惑う紫。青年はそれに気づくと、身長的に紫を見下ろしながら微笑む。
「悪いね。妖力の扱い方教えてもらってさ」
「……貴方あの蛇なの?」
「うん? まぁ、人の姿になったらわからんかね」
少し困ったように頬を掻く青年。勿論、今更だがこの青年はあの黒い蛇だ。
「ねぇ」
今まで戸惑っていた紫が、最初の調子に戻って男に話しかける。青年は微笑んだまま首を傾げ、紫の言おうとしていることを黙って聞こうとしている。
「貴方、名前は?」
「……名前?」
「そう、名前。私は前に『八雲紫』と名乗ったわ。でも私は貴方の名前を知らない」
青年はそれを聞くと再び難しそうな顔を、しかし笑顔を絶やさないまま首を傾げて唸る。
「……よし、決まった」
パンッと両手を合わせて音を出し、満面の笑みで紫を見ながらこう言った。
「名前は